大阪地方裁判所 昭和51年(わ)5014号 判決 1977年12月15日
主文
被告人を罰金一〇〇、〇〇〇円に処する。
右罰金を完納することができないときは、金一、〇〇〇円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置する。
訴訟費用は全部被告人の負担とする。
理由
(罪となるべき事実)
被告人は、
第一、公安委員会の運転免許を受けないで、昭和五一年八月一八日午後八時五分ころ、大阪市東淀川区東淡路町一丁目四三番地先交差点において、普通乗用自動車(大阪五六ほ六一九六号)を運転した
第二、前記日時場所において、前記車両を運転中、山口伸男(当時二七才)運転の普通乗用自動車左前部に自車前部を衝突させ、自車を交差点中央寄りの位置に前部損壊による走行不能の状態で停止させ、相手方車を交差点隅のガードレールに突き当った位置関係において自車と同様の状態で停止させる交通事故を起したのに、自車を相手方車の側まで移動させたのみで、直ちに両車を車道から除去する等して道路における危険を防止する措置を講せずかつ右事故発生の日時場所等法令の定める事項を直ちにもよりの警察署の警察官に報告しなかった
ものである。
(証拠の標目)《省略》
(検察官の主張に対する判断)
検察官は、判示第二の交通事故により相手方山口伸男及び同人運転車両の同乗者山口綾子を負傷させたのに、被告人は同人らを救護する措置を講じなかったから、被告人は救護義務違反罪を犯したものであると主張する。
そこで検討すると、判示第二の事実に関して証拠の標目欄に掲げた各証拠のほか、医師南部正敏作成の診断書二通、医師星野光男作成の診断書によれば、次の様な事実が認められる。
すなわち、本件交差点を信号に従い直進(ただし道路は左に曲っている)しようとした被告人運転車両と対向右折車である相手方山口伸男運転車両とが交差点内で衝突し、被告人車は衝突地点付近に停止し、相手方車は更に進んで交差点隅のガードレールに突き当った状態で停止したこと、双方の車両とも前部付近が相当に損壊し走行不能の状態で車線を塞いで停止しており、現場は交通がひんぱんであるため至急に移動させて危険を防止する必要があったこと(とくに被告人車が危険な位置で停止していたこと)右事故により相手方山口伸男は通院加療約一週間を要する頭部打撲、左肩部打撲、右膝関節部打撲挫創、左膝打撲の傷害を、同人運転車両の同乗者で同人の子である山口綾子(当時三才五月)は通院加療約五日間を要する顔面打撲、右肩部左上膊部打撲、左足関節部挫傷の傷害を負い、綾子は激しく泣いていたこと、被告人も通院加療約一〇日間を要する側頭部打撲の傷害を負ったこと、事故後被告人は直ちに車両から降り、泣いている綾子を抱いて降りて来た相手方と交差点内で二、三言葉のやりとり(被告人からは相手方の運転の仕方を責める趣旨の言葉を、相手方からは免許証を見せろというような言葉)をするうち、被告人車の後続車の運転手宮田茂から「子供を病院へ運んでやろう」との申出があり、これに応じて相手方は被告人を現場に残し、子供を抱いて宮田運転車両に乗りこみ出発したこと(途中で交番に寄りそこから救急車に乗りかえて病院へ行き両名とも医師の手当を受けた)、被告人はこれを見届けたあと直ちに通行人の協力を得て被告人車を交差点隅の相手方車の横まで押して移動させたこと、被告人はこれにより危険防止の措置を果したつもりでいたこと、その後被告人は処罰をおそれる気持等から逃走を決意し、電話をかけてくると付近の者に言い残して現場をはなれそのまま友人の山内登志子方へ逃げ込んだこと。
以上のような各事実が認められる。
ところで、車両同士の衝突事故の場合のように、救護等の義務を負う者が複数存在するとき、全員がこれらの義務を履行すべきことは言うまでもない。しかしながら、報告義務の履行の点についてはともかく、救護及び危険防止の各義務の履行については、分担しても全員の力を合わせる場合と変わらない措置を講じることができるときは、当事者間の協議により、あるいは暗黙裡に意思を通じ合ったうえで、為すべき措置を分担しあって履行しても差し支えないと考えられる。もちろん、分担と言う以上、全員が義務を果す意思を有することを前提とするのであって、およそ義務を履行する意思を持たない者は、他の者が独自に義務を果したことによって免責されることはあり得ない。
本件の場合にあてはめてみると、本件は救護と危険防止の各措置を分担することが許される事案であると考えられる。なんとなれば、負傷者の救護については、事故状況と負傷の程度に照らし、一般の外科医の診断と治療を受けさせれば十分であると思料される状況であり、他方において道路の危険防止も緊急を要する状況であったからである(本件は、事故の後始末をより迅速に遂げるという観点からいえば、当事者間で分担することがむしろ望ましいケースである)。そして分担をするとすれば、現実の事態の進行のように、最も優先して救護すべきものが山口綾子であったから、同人の父である山口伸男において(自らの手当も含めて)まず綾子に医師の手当を受けさせ、被告人は現場に残り、双方の自動車を車道から排除する等の措置を講じたうえで、独力で自らの負傷につき手当を受ける(現実には三日後に医師の手当を受けた)という手順が妥当であろう。
ただ本件では、被告人に負傷者を救護する意思が有ったかどうかが問題である。現実に逃走していること、事故直後に相手方に非難をあびせていること、宮田の観察によると、被告人には負傷者を助けるような素振りがみうけられなかった(そのため宮田が協力を申し出た)こと等からすれば、被告人はただ相手方の運転振りを非難し、一方では一刻も早く逃げ出したいとしか考えていなかったのではないかとの疑いが存するのである。そこで、この点に関する被告人の弁解内容をみてみると、その内容は種々変遷するが、捜査段階以来ほぼ一貫している点を拾えば、それは要するに、「相手方との若干のやりとりのあと、泣いている子供を病院へ連れていかなければと思った。その矢先に宮田が連れて行ってやるというので有難かった。宮田に伝わったかどうかは分らないが、自分からも宮田によろしく頼むと頭を下げたつもりである」というのである。この被告人の供述内容は、あながち筋が通らないものでもなく、被告人が宮田の車を見送ったあと、最も危険なところに停止していた被告人車を道路端まで寄せたこと(これにより、被告人は危険防止の措置を尽したつもりでいること)、逃げこんだ先の山内登志子に対し、「事故を起したが、相手の車に子供が乗っていて怪我をしていたので病院に運んでもらった」旨述べていることをあわせ考えると前記の宮田証言にもかかわらず、被告人に負傷者救護の意思がなかったとは言い切れない。
そうすると、本件においては、当事者間で明示の協議がなされた訳ではないが、事故発生後被告人逃走までの経過に鑑み、山口伸男が子供を抱いて宮田の車に乗りこむころ、前記した内容で措置義務の履行を分担する旨当事者間で暗黙裡に合意がなされたと見ることができ、救護を分担した山口において(当人自身を含め)子供に医師の手当て・診断を受けさせたことにより、被告人も救護義務の点についてはその履行を遂げたと言うべきである。
よって、検察官の主張は理由がない。
(法令の適用)
被告人の判示第一の所為は道路交通法一一八条一項一号、六四条に、判示第二の所為のうち危険防止義務違反の点は同法一一七条の三第一号、七二条一項前段に、報告義務違反の点は同法一一九条一項一〇号、七二条一項後段にそれぞれ該当するところ、判示第二の罪は一個の行為で二個の罪名に触れる場合であるから、刑法五四条一項前段、一〇条により、一罪として重い危険防止義務違反罪の刑で処断することとし、情状について考えるに、被告人は昭和四八年二月二二日に運転免許が取り消されたのに、昭和四九年九月ころに本件車両を新車で購入して以来無免許で乗りまわしていたもので、昭和五一年六月一〇日ころから同年七月三日(当日無免許運転で逮捕される)までの間は自動車運転手として勤めていたこと、昭和五〇年三月二四日、茨木簡易裁判所で窃盗、建造物侵入罪により懲役一年(三年間保護観察付執行猶予)の判決を受けていること、昭和五一年三月一二日に無免許運転等で罰金三、五万円に、昭和五一年七月六日に前記の(同月三日の)無免許運転で罰金四、五万円に処せられていることによれば、被告人は無免許運転の常習者であり、本件では自らは危険防止措置の一部を講じただけで相手方に名も告げずい逃走しており、その人格態度も大いに批判に値するものがあるから、判示各罪につき懲役刑を選択することも十分考えられる事案であるが、一週間後自ら警察へ出頭したこと、事故については主として相手方に帰責事由があると考えられる事案であるのに、逃走したことを謝罪する趣旨から、被告人の側で相手方の被害の全額三二万円を負担し、自らの受けた損害については請求権を放棄していること、危険防止措置の点については、道路上の重大な危険は一応除去していること、具体的な事情如何にかかわらず(道路交通関係以外の犯罪による懲役刑の執行猶予中であっても)、無免許運転の検挙三回目位までは略式処理されているのが実務の大勢であろうと思われること等の事情を考慮し、判示各罪とも所定刑中罰金刑を選択することとし、以上は刑法四五条前段の併合罪なので同法四八条二項により、各罪所定の罰金額を合算した金額の範囲内で被告人を罰金一〇万円に処し、右罰金を完納することができないときは、金一、〇〇〇円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置することとし、訴訟費用については、刑事訴訟法一八一条一項本文によりこれを全部被告人に負担させることとする。
よって、主文のとおり判決する。
(裁判官 井垣康弘)